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コミックにしてロック! – ハヤシエリ氏のROCKな世界!

さて。前々から、ピクシブで気になった漫画を時々紹介している。マスメディア、そしてPIXIVの「マンガ特集」まで。そのアンテナから漏らしているが、面白いマンガは確実に存在する。

表現者の血がひしひしと感じられるもの。触ったらやけどしそうに熱いもの。メディアの海に見え隠れする、氷山に隠れたダイヤモンド。どうしてもっとみんな評価しないんだ!と、憤りを感じるので、ここでやってしまおう。

今回は、ハヤシエリという方の漫画世界がアツい!彼女の漫画を見て「そんな滅茶苦茶な!」という人もいるだろう。だけど、必ず後ろにこう来るはずだ。「だけど、面白い!」「元気になった!」

そう、彼女のマンガはブッとんでいる。演劇風に言うと「脱物語」な物語に近いか。


物語という歌詞

最新作『こんぺいとうになりたい』は、奇妙な歌姫のお話。

路地裏で偶然出会った弾き語りの女の子。
その美しい歌声、曲に引きつけられる主人公。
見ると、人気があるらしく、何人かお客さんもいる。「CDとか、売ってないの? 」と聞く客。

にっこりとほほ笑んだ歌姫が、書きだした一片のメモには、

「わたしはこえがでません。」

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「声が出ないのに」声が響くこの不思議。
ここで、「リアリティがありません。受け付けません。」とページを閉じてしまうか、それとも、面白い!先を読ませて!と来るか。

私は、この巧みで美しい謎の結末が見たくて、先のページをめくった。
はっきりと、ここで読者の差が出るかもしれない。

今流行の「ハッピーエンド」ではないオチ。しかし、同様にその裏返しのような「怒涛のわざとらしい」セカイ系の悲劇でもないオチ。

等身大の痛み。

あわただしい生活に飲み込まれそうなほど小さくもなく、一個人では手に余りすぎるほど大きくない、ちょうどいい痛み。

それは、逆にはっきりとした輪郭がなくなっていく、私たちのあいまいになっていく「日常の幸せ」をはっきりと浮かび上がらせてくれる。

あるいは、『MAD DEAD MEPHISTO’s KITCHEN』。
居酒屋の主人が、月に一回、故郷の島に食材を取りに行く話。

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そう、「ただそれだけの話」なのだ。きわめて物語性が薄い、日常の話。

さらに、それだけならいいけど、まるでRPGのように、いや、テレビゲームそのものの怪物が主人公に襲い掛かる。

で、それを受けた主人公は、「もうレベル一〇〇だよ! 」「カンストだよ! 」と、軽やかに、しかし、ダイ・ハードの主人公の如く必死コいて「クリア」する。
主人公の「俺ぁ、命かけてっから。」の言葉どおりだ。

そして、親玉であるマッドサイエンティストと会うのだが・・・。

ハヤシエリ氏のお話には、明確なオチ、あからさまに仕組まれた、動機はない。

「ゆるい」。その一言が一番似合う。そして第二に「不条理」

例えば、『MAD DEAD MEPHISTO’s KITCHEN』。これを例にとっても、全体的にゆるい不条理で覆われている。

また、主人公は、自分の命を狙ったマッドサイエンティストを始末するわけでもない。命をかけている重さをしょってるにも関わらず、なにか「なあなあ」の態度で対峙は流れていく。

命をかけた大騒ぎは、結局誰一人傷つけずに、もとの「血が流れない」日常へ戻る。

全体的に不条理テイストが流れる。

そもそも、食材を取りに行くだけで、なんでバイオモンスターと戦わなきゃならないんだろうか? わけがわかんねぇ! 

キツイ方なら、そういうかもしれない。特に、物語に「安定」を求める方は。

考えて、そして感じろ!

しかし、これを一読したあなたは、ここに何かしらの、強いカタルシスと、深い感動を得ているだろう。

劇作家の鴻上尚史も、映画監督の押井守も言っている。

「わけがわからなくても、作品が面白けりゃ勝ち! 」

まさにその通りで、この作品は、きわめて「感情に訴えてくるカタルシス」が、カッコとしてある。

それはなぜか。
「一読すればわかる! 」と声を大にして叫びたいが、野暮を承知で解説すると、以下のようになるか。

「物語の解体」「脱物語」という思想が、80年代の演劇界ではやったことがある。
ものすごく乱暴に言えば、「現実はもっと、不条理で不可解なんだから、一本の物語でまとめるのって、ムダじゃね? 」という動きだ。

物語はハッピーエンドを望む。すると、物語はハッピーエンドを目的として、一直線になる。
「現実はもっと不条理で、痛みに満ちている。クサいものに『物語』でふたをして、毒にも薬にもならない演劇をやったらイカン。」

そして、今で言う「やおい」を真の意味で行く、「物語のヤマ無し、オチ無し、意味ナシ」な物語が、つまりは、わかりやすい物語の否定。これが、演劇界の最先端になった時代もあった。

とは言ったものの、普通はわけがわからないものは、「つまらない」という客離れを招きやすい。
外国語である本に容易に手を出す人が少ないように、受け手の感情移入のハードルが高いからだ。

しかし、それでも「わけのわからない」だから「面白い」と熱狂的に受け手がつく場合もある。
例えば、映画監督、押井守の作品群。例えば、論理的な筋書きよりも、イメージの連鎖で語る、演出家、唐十郎の作品群。とくに、ハヤシエリ氏の作品からは、唐十郎のにおいがする。

そのカギは感情だ。そして、感情を揺さぶるのはイメージだ。
演出家の鴻上尚史は、こう語る。

「演劇では、その瞬間、その言葉の説得力があれば、次の場へ進むことが可能なのです。(中略)論理的に破たんしていても、言葉に力がなくても、ただ、そこに魅力的な俳優がいて、俳優の一言が、物語を紡いでいくことだって可能なのです。」
鴻上尚史『名セリフ! 』文芸春秋P108

さらに、俳優はイメージに近いと断言している。

ハヤシエリ氏の作品は、このイメージが頭一つ抜きんでている。
彼女の作品を読むと、私はロックが聞こえてくる。

もちろん、彼女ページターナーとしての構成力もある。
不条理な展開にスポットを当てているが、それでも一気に最後まで読ませる展開の巧みさ。
なぜか? 感情という説得的展開があるから。

「このフレーズの次はこのフレーズが来る。」という音楽に近い、説得性。しかし、「どうしてこのフレーズの次は、このフレーズが来たら、気持ちいいんだろう? 」という問には、言葉で説明しづらい。しかし、心が、肉体的に「理解できる」。

ハヤシエリ氏の真骨頂は、骨太のストーリー。力強い台詞とともに、爆発せんばかりに奔流するイメージ。これに尽きるだろう。

たとえば、『MAD DEAD MEPHISTO’s KITCHEN』
当然、バケモノとのアクションシーンがあるのだが、この躍動感は筆舌に尽くしがたい。

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強いデフォルメは、アメリカン・カートゥンを彷彿させる。また、荒い中にも、女性らしい繊細な表現が絶妙なスパイスとなっている。

画面のコマ枠さえも邪魔だ! と言わんばかりに、顔どころか全身で感情を叫んでいる。

テンポ良いコマ割りと相まって、実際にアニメしている感覚にさえ陥る。

また、この躍動感は、彼女が手掛けるフライヤーでも色あせない。

たとえ一コマ、対象物が静止画であっても、やはり、背景さえもフル動員して「何かを訴えかける」その腕は、「瞬きしている間に、すこし動いたんじゃね? 」という錯覚さえ起こす。

さらに、彼女の物語の緻密さを一役買っているのが、リアリティ。

具体的に言うと、丁寧に描かれたキャラクター、世界感。そして空気だ。

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「今現在」を切り取った台詞回しの粋。リアリティを補完する仕掛けは、挙げればきりがない。

つまり、一見バラバラに用意されたリアリティの破片は、精緻に生き生きと、「日常」を映し出している。

「現実は一枚の鏡のような単純なものではなく、割れた鏡のようなものだ。だから、私たちの作る作品は、粉々になった鏡の破片のひとつひとつに映っている現実を描写しよう」

とは、鴻上尚史の口癖だが、その鏡も、曇っていたりゆがんだりしていたら意味をなさない。

鋭い着眼点とリアリティを反映させる技術。
今現在、ストーリーよりも、枝葉末節な設定の方が尊ばれるような風潮になってないだろうか?
「ストーリーの矛盾」には目をつぶる読者が多くいても「前のコマと今回のコマ。服の飾りの位置が違う。」だけで、クレームが来るそうな。

まぁ、それは極端な例だとしても、ピクシブなどでも「設定」だけ出しておいて、それで「全仕事やり終えました。」みたいな作り手が目につくような気がするのだが、いかがだろう?

しかし、ハヤシエリ氏の場合。繊細なリアリティの積み重ねが、先ほど述べたロックなダイナミズムと相まって、作品の強烈な魅力、魂となっているのは間違いない。

愛しているから、離れる。離れているから、生きられる。

『日曜日の使者』という曲がある。
この曲を書く原動力のエピソード。
「どうしても、続きが見たいドラマが、日曜日にあった。すべて行きづまってて、絶望していたんだけど、『日曜日のドラマが見たい』。それが原動力になった。」

ハヤシエリ氏の作品も、それに似ている。
ハヤシエリ氏の作品を、あなたの生きるための「次の一ページ」に!
疲れた時に、是非読んでほしい。ハヤシエリ氏の世界。

そこには、テレビドラマ、流行歌を浸食する「優しい癒し」は無い。
安っぽい、無責任な「未来を信じて生きていこーぜー」とか「頑張れば未来は変わるんだから」という言葉はない。

あるのは「頑張りつくした。未来を信じ尽くして灰になった。」そこからどうするの? という姿。
灰になったからこそ、「等身大で、今を懸命に生き抜く」姿のみだ。
だからこそ、読み終わった後で、強烈な癒しを感じるだろう。
いや、「癒し」などという言葉でもおっつかない。

体の奥、心臓、脳髄から、ふつふつと「生きてやろうぜ! 」という叫びがわいてくる。

例えば、「わたしのこと、たべてくれればいいのに。」という衝撃的な告白で始まる、『おれたちはこいびとになれない』

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ここには「愛は勝つ!」とか「思いは絶対報われる!」という軟弱なJポップみたいな歌詞は無い。

しかし、しかし!それでも読み終わった後に「愛は確かに存在する。」と、心に染み入る強烈なメッセージに、あなたは身震いするはず。
そして、このことに気づいて、ハッとするはず。

「存在するだけで、それだけでいい。愛は。」

彼女は、主にピクシブで活動をしている。

http://www.pixiv.net/member.php?id=115073

ほかにも、

JUNK FOOD OPERA

マンガボックス

comico

と、ハヤシエリは、どこでもみなの挑戦を、一読を待っている。新作ばかりでなく、彼女のフライヤーまで、最新情報満載!

一度聞けば、彼女の『曲』のとりこ! Don’t miss it!