書籍

「押井守はこう考える」最新にて総括!『凡人として生きるということ。』

今やかの人が監督した『攻殻機動隊』がハリウッド実写化。
すっかりジャパニメーションを代表する第一人者となった押井氏。
実は、文筆業の方もますます盛んになっている。

特に、そのエッセイ。
世界の半分を怒らせる』(幻冬舎) 『友達はいらない』(テレビブロス新書) 『コミュニケーションはいらない』(幻冬舎新書)など、過激なタイトルが最近の傾向だ。

この常識に真っ向から挑戦するエッセイ群の中、押井守初心者にお勧めなのがこれだ。『凡人として生きるということ 』(押井守・著 幻冬舎新書)

本書も、まず「若いことに価値はないのでは?」というところから始まる。

若いというのは、ただ体力があるだけ。翻って年を取ってくると、それだけ経験値が積める。というわけだ。じゃあ、若者にどんな価値があるのか?極端な話「消費奴隷」にするためだと言い切る。

同じ理由で、若者ぶるオヤジも批判。それは「デマ」に踊らされているだけ。真に「自由」ではない。

じゃあ、老いも若きも「自由」になるのはどうすればいいか。ネット、マスコミが「今はこういう流れだから」というのに乗っかる。そうではなく「自分自身で確固とした価値観を持つこと」と論じている。

私も「いい歳」になっているから、つくづくこの応援のエールがありがたい。身に染みるというのは、こういうことを言うのだろう。
他にも「引きこもってもいいじゃないか」「民主主義は、人間の多様性を否定する側面もある」と、一見常識、道徳に反逆するような挑発的な論点目白押し。

だけど、そんな論点はすべて、冒頭を取り上げられるいかに「自由に生きるか。」を追求するため。その方法を試行錯誤している。
「自分自身の頭で判断する」という、きわめて孤独な道しか残されてないのだ。

そのスタンス。そして「王様は裸だ」と歯に衣着せぬ物言い。現代再びブームになっている哲学者、ニーチェと似ている。
「徹底的な民主主義を貫くなら、優秀な5パーセントの人間によって支配される社会の方がマシ」と言い切るその危険な香りも、反道徳の危険な香りがするニーチェに近い。

もっとも、押井監督の民主主義批判には、「徹底な平等主義を貫くと、『運動会でみんな一等』になるような、ファッショに絡みつく危険性があるという方向から述べているのだが。

「自由に生きる」ことにスポットを当て、それを緻密に分析、アジテーションしているところ。押井守は、現代のニーチェというにふさわしい。町にあふれる「易しい」ニーチェ本を手に取るよりかは、押井監督の本を一冊でも手に取っていただきたい。
特に、難解な「押井節」がなく、言いたいところを簡潔にまとめてくれているのがものすごくありがたい!
頭にすっと入ってくる。

これに興味を持ったら、冒頭に挙げた『友達はいらない』『コミュニケーションはいらない』も、ぜひ手に取っていただきたい。

特にタイトルかに書かれている『凡人として生きるということ
劇作家の鴻上氏は「現代人はあり得るべき理想と、現実の自分のギャップに引き裂かれている」。とくしくも同じ点を指摘。

「自分」=「凡人」=「つまらないからダメ」という強迫観念がまかり通る時代。

何せ、ニーチェでさえ、「実は彼が最後に目指した『超人』とは、普通の生活という最大の不条理の連続『普通の生活』に耐えられる、究極の『凡人』ではないか?」という説だってある。
私自身、それにもがき苦しむ一人。
その常識を見事に打ち砕いてくれる逸品だ。