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戦うコミニュケーション CROWDIO – いま、おすすめのWebマンガ

「どんな愛の言葉も、口下手ならば届かない。」

よくあるドラマの中で、こんな言葉を聞いたことはないだろうか。しかし、口下手ならば、愛が届かないなんてこと、あるだろうか。

この物語の主人公、足元キズナは、周りのみんなを低俗と怒っている。無神経な振る舞いをする、同世代の若者に。何より腹を立てている。

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私たちもやたら義憤に駆られて、社会正義や、学校での非倫理行動に無性に腹を立てたことはないだろうか?その理由はもう一つある。その中にルサンチマンが含まれているのにも気づかずに、そうして他者に壁を作らないと、ガラスの自分が壊れてしまうから。

でも、実は、どんな人だって、中学・高校生のころは、重かれ軽かれ、そんな感情を持ったことないかな?実は、私もそう。

「社会に関わりたい」だけど「自分と他人にれっきとした違いがなきゃダメ。」

ところが、ネットが普及してくるに従い、それに求められるコミュニケーション能力のスキルアップが要求される。すると光と影のように、リアル会話が苦手な人がクローズアップされるようになる。「コミュニケーション障害」なる言葉、レッテルまで出てきている。

例えば、主人公キズナは、人前に出ると、極度にあがって、言葉がどもる。そして、相手は「もう一回言ってくれ。」という。
となると、キズナ曰く「地獄へ落ちる」感覚を味わう。曰く「同じことを言い続け、挙句理解は得られない。」

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問題なのは、「何べんも言うことで、ウザい奴とレッテルを貼られて無視されてしまう」と言うケースが多いんじゃないんだろうか?なぜなら、ここで彼は「本物」のコミュニケーションを取らざるをえない状況に追い込まれているから。

彼は、同世代の仲間を拒否している。

もしも、これが仲間内、つまり同じコミュニティに属しているなら、極端に言葉が短くても結構。例えば「メシ」「だせぇ」という一単語出すだけで、周りは「パンが食いてぇ」なのか「お米」なのか、理解してくれる。何がで「だせぇ」と言っているのか、主語がなくても、空気で読み取って感じてくれる。彼と空気をともにするコミュニティがあれば、彼のたどたどしい会話レベルでも、十分に意味をなす会話となるはず。

しかし、彼は家族以外のコミュニティを持っていない。つまり最初から「異文化」レベルのコミュニケーションを強いられる。
つまり「飯は何がいいか?」「どういう理由で、どういう感情でウザい」と言っるのか、逐一説明しなければならない。
「自分がわかっている当たり前のこと」を再解釈して言葉に直す。

これが本来、他者との「会話」の基本。しかし、これをやると話し手に膨大な負担がかかる。そして周りからは「うぜぇ」と思われる。この悪循環が、キズナの現状を呼び込んだと推察される。

だから、彼は心機一転、高校入学時に、ラジオ部を目指す。というのは、ここならば「うまく人としゃべれる」理想の自分になれるかもしれない。彼は「他人が用意した文」ならすらすらと読める。

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入学式で流暢なスピーチをかませるのだ。ラジオ部の部長、外垣が一発で魅了されるぐらいに。
「用意してある言葉が欲しい。」だからまず、「台本」を求めてラジオ部へ入ろうとする。「自分の表現を求めている」のに、「台本」という他者の言葉を求める。ここにも、暗示があるようで深い。

というのが、二足歩行まででき、加えて愛玩用ロボットまで売られているロボット王国日本。その中で「アンドロイドに演劇をさせる」プロジェクトが立ち上がっている。そう、より「人間らしい」ロボットを作り上げるために。

今の技術では、どんなに人間そっくりのロボットを作っても、なんだが味気ない、いや、それを通り越して「不気味」な感じがする。魂が入ってない人形がぎこちなく動き出す、あの不気味さだ。

それはどこから来るのだろう。

間、無駄な動き。
喋るということ一つ取ってみても、「間」が重要だ、ということは、おそらくみなさんもお分かりになるだろう。ランダムに入るそのようなムダ、言葉の空白こそが、魅力的な言葉を紡ぎ出す。それを克服するために「アンドロイド演劇」は行われている。

翻って、かの主人公。
「アドリブはおろか、普通会話は一切ダメ」というレベルを「流暢に、せめてラジオのパーソナリティができるくらいは、人とコミュニケーションがとれる」レベルにしたい、というのは、この実験を彷彿させないだろうか。

「自分の言葉が紡ぎ出せない」=「他人の言葉なら、流暢に言える」ということは、逆に言うと、そこまで「間」を完璧に再現できるアンドロイドを連想させる。つまり、逆に「人間がロボット化」しているのを暗喩しているようで面白い。

人間がロボット化している、というのは、今現在いたるところで見られるのではないか?ネット通販。カートに商品を入れ、購入ボタンを押す。自動販売機そのものだ。そこでは、後ろに人が努力しているというのに、その人たちの姿は、まったく見えない。そして問題は、ボランティア的なこと。「他人を励ます、他人の寂しさを元気づける」ための普通のコミュニケーションでさえ、相手が自販機レベルに思えてしょうがない。ということはないだろうか。

「してあげたのに、してくれない。」ネット間では、善意のすれ違いから、トラブルが多発しているように思う。
しかし、彼はその実験を逆手に取り、人間としてのコミュニケートを取り戻そうとする。押井守監督の映画『イノセンス』のラスト、人形化される運命だった少女が「あたしは、人形になんてなりたくなかった!」と叫ぶ。つまり、キズナは、他者、そして自分がだんだんとロボット、機械のような感覚がしてくるのをどうしても止めたかったのではないか。

ここからして、現代のリアルを写し取る。そして、念願のラジオ部へ入部するキズナだが、この時、部長の外垣先輩にたたきつける台詞が凄い!要約すると

「僕はアンタが大っ嫌いだ。大っ嫌いだから入部するんだ!」

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そう。始業式の妨害までしてキズナを勧誘するわ、「やりたいことは好きにやり、邪魔者は排除する」と、公然とアドバイスするわ、やりたい放題に見える部長は、主人公にとっても、社会にとっても唾棄すべき人間だ。

しかし、「嫌いだから入部する」という矛盾・このリアリティがものすごい。彼の表現者としての「本物」をより浮き立たせている。

国語の教科書製作にまで関わっている劇作家、平田オリザの言葉。
『伝えたいという気持ちはどこから来るのだろう。私は、それは伝わらないという体験からしか来ないのではないかと思う』
彼は大っ嫌いな先輩に「思いを伝えようとしている」。これこそ「伝わらないという体験」から湧き上がる「伝えたい」という気持ちを的確に表すシチュエーションではないか?

私の妄想なんだが、おそらく彼には、「命かけても伝えたい」ものがあったのだろうと思う。ここはやっぱり「愛」の言葉というのが、一番身近で普遍性があるのではないだろうか。そして、まだもの知らぬ幼さゆえか、それとも「運命の無慈悲さ」なのか、二人は思いを伝えることなく別れる。

愛するものとの別離。まだ、自分の手の届くところが世界のすべてだった幼い身には、それこそ世界が滅亡する。言葉を失わせて十分な理由だと思う。

ただ、作者のすごいところは、そういう「深み」を、語らずに語ること。なおかつ、演劇のプロが何年もかかってたどり着いた言葉を、一つの台詞回し、シチュエーションの流れで何より雄弁に語っている。

しかし、試練はまだ続く。テストとして、マイクの前へ座らされた主人公。結果は惨敗。聴衆がいないというのに、一言もしゃべれずに終わってしまう。

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そこで、外垣先輩は、「しゃべれない」ということに対して、対策を打とうとする。キズナの自分自身に対するアンケート。
「表現するのなら、自分を知っておかないといけない。」
ということで、キズナはアンケートに答える。

次の日、それを見て、「感動して涙した」外垣先輩。

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しかし、すぐ先輩は、それを思いっきり笑った!「友『達』なのに一人って!俺を笑わせるためにそこまでしてくれるなんて!」

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ここだ!ここに真実がある。と思った。ここで、一般的な回答。空気を読んだ回答はなんだろうか?
「こいつ、本気でボッチなんだ・・・。」
しかし、「優しい」日本人は、苦笑いして「無視」するだろう。そして、やんわりと、だけどきっぱりと、「あなたには、他の部の方がもっと個性を生かせるんじゃない? 」そして、彼を切り捨てるだろう。「ラジオは向いていない。」そこでジエンド。

そう、ここで「オマエがコミュ障だ。」とはっきり結論付ない。なぜなら日本人のやさしさ、空気を読むことの本質はそれだから。あたりさわりのない言葉で拒絶する。きっと主人公も、間違いなく真綿で首を絞めるような無視を続けてこられたに違いない。

しかし、一人は「友達と話せる」。しかし「一人」という言葉に感動し、涙を流した。世界を解釈して、意味づけるのが私。そして、私が死んだら「私の世界は終わってしまう」あくまでも、この世界が「私」があって初めて存在するなら、そこにある他人も、極端に言ってしまえば「私の一部」ではないだろうか。

という存在論的疑問を、無意識のうちに嗅ぎ取った。それは、実は自分にも同じ匂いがして。涙を流した。

もちろん、それは私の勝手な解釈だ。しかし、頷くより言葉を返すより「涙」を流すということは、なによりも「相手の言葉を受け取ってるよ」ということを雄弁に語る。キズナは、ここで初めて「会話できる」他者を得た。

その証拠に、先輩は、笑い出した。「彼がボッチである」ということに対して。

相手の弱点をあげつらって笑う。それは普通、「KY」な態度からは、いや、倫理的に見ても、もっとも反しているはず。普通だったら、そこで関係を切らざるを得なくなる強烈な反応。しかし、先輩は、空気という我々に重くのしかかる呪縛を断ち切った。リアルな「魂と魂」がぶつかり合うレベルまで、一瞬で落とし込んだ。彼はその言葉で「お前の考える悩みなんて、笑い飛ばせることができるんだよ。」ということを暗示している。

そして、さらに試練は続く。外垣先輩は続ける

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「みんな案外、お前の言葉を、重くとらえちゃいないって」その後で、モノローグがこう続く。「相手を傷つけないように言葉を選んでいる」

「楽にしゃべったらいい。言葉ってのは、案外軽い」そう、その通り。言葉というのは本当に軽い。だからこそ、あの時失ってしまった言葉を人は探し続ける。放り捨てられたことによって、言葉の重さは確実に深まる。

さらに畳みかける。「相手を思っててしゃべれないなんざ、くだらねえ。てめぇの言葉でしゃべりたいんだろう。」こう問いかける姿は「お前の失った言葉、それこそが俺達の探し求めている言葉だ。」という言葉を暗に秘めている。

実際、ラジオ部の連中は、みなキズナと同じ根っこを持っているように思う。知り合いの精神科の先生が、こんなことを言っていた。「意識高い系なんていないんです。最近の若い人はみんな不安なだけです。」そう考えると、全身これ過激な外垣先輩。いつもテンションが高い美桜先輩。彼女とは真逆にいる、感情を出さない棟一先輩。かなり個性強いメンツだ。しかし、ラジオ部の連中は、みんな、身を浸食するような不安と戦っている?はたから見ると、すこし異端に見えるのは、彼らなりのやり方で不安と戦っているのではないか?

140字のみでつづるツイッター、そして、もはや文字ではなく、絵で自分の感情を表現するスタンプの登場。言葉によるコミュニケーションは、薄くなったのか濃くなったのか。主人公が「他人に向かう言葉」を失ったかわりに、何を得たのか、あるいはこれからどんな言葉を得るのか。

『CROWDIO』で描かれているのは、まぎれもない「異文化コミュニケーション」だ。
というわけで、『CROWDIO』は「COMICO」で絶賛掲載中。

CROWDIO – COMICO

また、作者のセンミツ氏も、「あなたの作ったキャラ」でイラストを描きおろしてくれる仕事を行っている。

ココナラのセンミツさんのページ

さすが、「コミュニケーション」を題材に、このような作品を作っているだけあって、かなり丁寧に依頼者の意見を聞いてくれる。出来上がったイラストは、決してあなたの予想を裏切らない。いや、常に上を行くだろう。興味があれば、ぜひのぞいてみてほしい。

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※画像は作者のセンミツさまより許可をいただいて掲載しております。無断転載はご遠慮ください。