鬼切り夜鳥子と俺の屍を超えていけ2

さて、今年、2014年の夏、いよいよ発売された『俺の屍を超えていけ2』みんなはやっただろうか?

私は桝田省治が大好きだ。「え?それなら桃太郎伝説シリーズから始まって、メタルマックス云々とかも、もちろんやってるだろうね。」という質問を受けるだろうが、やったのは『天外魔境Ⅱ』と『リンダキューブ』しかございません。申し訳ございません。

ただ。売文家の末席を汚すものとして、・・・文章稼業にあこがれて、幼少時から散々本を読み散らしてきた身・・・これだけは言える。「文筆家としての桝田省治は、本物の天才だ。」と。

そして、『俺の屍を超えていけ2』をやるのなら、『鬼切り夜鳥子』を読んでおくことは、明日の授業のために予習するのと同じぐらい必須だと思う。

稀代のゲームクリエーター、桝田省治だけど、最近はラノベの執筆にも力を入れている。『鬼切り夜鳥子』を皮切りに、今なら、大ヒット作『まゆおう』のノベライズの監修か。

私ははっきり言ってラノベ差別していた。平凡で凡庸な生活を、こじゃれて内容のない言葉で並べ立て、ついでに、いきなり世界を双肩に担うことになった、などという中二病特有の青臭さばかり鼻が付く・・・。すまないが。早い話、若さに嫉妬して、食わず嫌いしたのだ。

しかし、テレビはNHK教育だけになったらつまらない。カミュやレイモンド・チャンドラー以外にも、時にジャンクフードを食べたくなる。そして、手を出したのが『ハルカ天空の邪馬台国』、そして、本稿でプッシュしたい『鬼切り夜鳥子』。

そう、私は読んで一ページ目から、姿勢を正さなくてはいけなくなった。

桝田省治ワールドは・・・お下劣で変だ。『天外Ⅱ』では、主人公を豚に変えて鞭うち喜ぶ変態や、憎しみを通り越して、ストーカーと化した強敵、デュークペペ、仲間になってくれるカブキは、性格的に欠点がありすぎ、旅の途中で主人公を置いてけぼりをくらわすし、かたくなに戦うことを嫌っていたヒロインは、最後に血みどろスプラッターでかたきのボスを屠る。

『リンダキューブ』では、すぐに「しよっ」と言うヒロインや、ヒロインの愛がいつの間にか憎しみに変わり、どろとろの怨念のオンパレードとなったり、という、人間のどうしようもない、闇が背景として流れる。

そもそもリンダキューブ。そのキャッチコピー「君は世界を救えない。救えるのは100匹の気色悪い生物だけだ。」

そう、これが私の財布を強力にプッシュした。そう、ただの一介の人間は、世界を救うヒロイックなことはできがたい。しかも、どう考えても昆虫・動物採集などというのが・・・しかも、ポケモンみたいにかわいくないのだ・・・どこをどうひねれば、勇者らしいヒロイックな行動になるんだ! しかし、この雑で卑猥なところが、シナリオ・台詞の妙で見事にスタイリッシュになっている。

例えば天外Ⅱの敵、イベントは、桝田省治曰く「日本神話に題を取っているんだから、どうしても高尚になりがちになってしまう。それを避けるため、世俗的な要素を取り入れることにした。それは三面記事的な事件をちらりとのぞかせたり、あるいは敵ボスの造形には、猟奇犯罪者の資料が役に立った。」という意味のことを述べている。

カウボーイ・ビバップの小説のあとがきで、この小説の構成要素に「ゲロ」を挙げているものがあった。そう、それと同じく、この猥雑でカオスな雰囲気こそ、桝田氏の作品に、えらくリアリティを・・・奇妙な親近感を作り出す要素になっているのではないだろうか。

前置きが長くなった。で、いよいよ『鬼切り夜鳥子』の話だ。

『鬼切り夜鳥子』というのは、桝田省治の初の小説作品で、ファミ通文庫から出ていた。
あらすじを簡単に紹介すると、高校生 駒子の体を借り、中世の陰陽師、通称『鬼切り夜鳥子』がよみがえって、主人公たちの学園に魔の手を伸ばすモノノケたちを狩る。」という話。
話としては、よくあるパターンだろう。
しかし、これは、ほかの凡俗なラノベと違って、すぐに放り投げたくなるものではなかった。なぜだろうか。

文体がちゃんとしていた

私にラノベを投げ出させる一つの要因として、例えば擬音の多様がある。台詞に多くを頼りすぎて説明不足。自分ではこじゃれたことを言ってるつもりだろうが、青臭い自意識がチラ見できて嫌になる主人公のジョーク。

つまり、読んでいて「筋が通らない! 」というところが一切なく、そういうものが一切なく、説明するところは説明する・・・しかも、自然な形で設定が紹介される。

えっ?そんなの当たり前でしょ?とおっしゃられる方もいるかもしれない。

しかし、私はもう若くない。世間でいうところの、オッサンなのだ。そして、近頃のライトノベルは、「読者も自分とおんなじ年齢」という条件・・・つまり「書かなくてもわかる空気」を、読者側も共有している前提で書かれているので、やたら略してあるところも多いように思える。

あとがきで、桝田氏いわく「小説を書くのは、初めて」ということで、その苦労に触れているのだが、この文体は書きなれた手練れ・・・、そう「企画書」で、自分とは全く共有する世界が違う・・・空気が違う人に、一から分かりやすく、おしつけがましくなく、自分の世界を伝えるやり方だ。

おっさんの私にとって、それは非常にありがたかった。

前代未聞!○○から武器を出すヒロイン

で、桝田節ともいえる猥雑さは、この話でもきっちりと再現されている。主人公の夜鳥子は、体に刻まれた式神の入れ墨を実体化させて戦う。そして、なんと乳房にも火を吐く唐獅子の入れ墨がある・・・ということは、戦うとき、「服が邪魔になる」ということだ。

また、その中でも、鞭と化して敵を攻撃する、巨大百足の式神「百爺」は、なんとヒロインの○○から出てくる。

むしろ、夜鳥子に体を貸している駒子がえらく困惑するということにスポットが行っている。この健康的なエロさが、この話をいっそう桝田省治作品にしている・・・。

全裸になったり、○○からエモノを取り出したりするハルヒを想像できるだろうか。○○が気になる方は・・・ぜひとも本編を読んでくれとしかいいようがない。

君は世界を救えない

そして、何よりも、この話は「等身大」の敵を相手にしている。何度もも言うが、妙に悟りきったスカした主人公のもとに、個性的なヒロインが現れて、いつの間にか「世界」に関わる大きなことに関わっている・・・みたいなラノベが、巷に乱造されているような気がする・・・。 

なんでたかが一介のガクセイに、そんな大荷物を背負わされて、そして主人公もそれを平静な態度で見つめているのか。と、ここで違和感が発生し、ページを閉じるというのが、私のラノベに対するパターン。

だけど、このお話の敵は、「とりあえず私の学園を・・・私の友達を守らなきゃ。」という、自分の手のひらに収まるスケールなのが、しっくりくる。
「ほっといても、世界スケールではなんともないけど、当人にしてみりゃ大問題。」

この敵設定がいい。

そこには、すべてを知り尽くして、主人公に微笑みとともにスカしたセリフでなんかほのめかしている奴は出てこない。夜鳥子は、口が悪いけど、説明の出し惜しみは絶対にしないし、何より体当たりで、自分が血みどろになって問題を解決する。つーか、最近のラノベでいらっとくるのは、口先ばかりで、血の汗を流してないキャラが多すぎるからではないのだろうか? 

そう、血が通ったキャラクターと言うのも、本作の大きな魅力。
そこには、記号と化したツンデレのヒロインも、ヤンデレの敵も出てこない。
どこにもいそうな、平凡でお人よしそうな人たちが、実に生き生きと細かく描写されている。

このように、記号化されたキャラクターに頼らず、一つ一つ世界をくみ上げていった感触。『鬼切り夜鳥子』にはそれがある。

結論として、本作からはハードボイルドの香りがする秀作に仕上がっていると思えるのは、私の気のせいだろうか。

猥雑な世界観、決してウェットに流されない、べたべたしない友情や愛。主人公は確固たる信念を持っていて、困難の前にそれを曲げたりしないが、曲げるところはきちんと曲げる・・・つまり、自意識過剰のわがままではない。

これって、ハードボイルドの基本的要素じゃないのだろうか?

また、ハードボイルドの主人公は、総じてタフである。そして、桝田作品の主人公、特にヒロインも、総じてタフである。
同作者の著書『ハルカ天空の邪馬台国』では、戦の真っただ中、死体やけが人満載の根城に戻って、子作りに励むシーンがある。「死体の数を追い抜くぐらい、こっちも生まなきゃ。」という信念がこぼされるが、いや、生理的、直感的に「あるよな、そんなたくましさ。」とうなずける。

天外魔境Ⅱでも、「どんなに悲しくても、おなかがすくよね。」という台詞もある。
そう、この肉体欲望に結びついた荒々しい生存本能こそが、桝田氏のテーゼではないのだろうか。

清濁あわせもち、その激流のようなぶつかり合い・・・死闘から、「生きる」ということを語る。
これって、ハードボイルドの極みだと思う。

では、なぜ今さら『鬼切り夜鳥子』を取り上げるのだろうか? それは、『俺の屍を超えていけ2』に、夜鳥子が出てくるから!

どうも、紹介記事を読むと小説版とは違った設定らしいが、重要なポジションを担うのは間違いない。

「女だったら、最後まであきらめるな!」見た目は小娘、中身は世界の兄貴な夜鳥子の活躍が、どんな形であれ見られるというのはうれしいこと。
巷の噂では、『俺屍2』というより、『夜鳥子ゲー』と言った方がいいくらい活躍しているらしい。

ならば『俺屍2』の前に、『鬼切り夜鳥子』を読むのは、必須だし当然、かもしれない。